こんにちは。
心から「私はここにいていいんだ」と感じられるようになるサポートをしています。
まいこです♪
先日、住んでいる地域の二十歳の集いに参加してきました。その時の投稿はこちら↓
若者の艶やかな姿に感動しました。と同時に、正直心の中でもやもやしたこともありました。
なんだか、時代遅れな感じもしたんですよね…
一つ目は、地元という概念。皆さんは、地元ってありますか?
私は小・中・高校と福島で過ごして、その後は転々としています。25歳から海外に12年間住んでいましたが、その間に実家まで引っ越してしまい、小・中の友だちは音信不通です。たぶんわたし、地元では行方不明です。
娘が生まれてからも、東京→沖縄→静岡と移動しているし、娘が高校に上がる頃にまた引っ越しするかもしれません。そしたら、娘はどこで成人式に出るんだろう…
この流動性の高い世の中、住んでいる地域の二十歳の集いとか、今後どれくらい残るんだろうって思うんですよね。
同じ地域にずっと根差して生きていく。そういう方もいるでしょう。でも、これからもっとみんな自由に居を変えたりもしていくのかもしれないなとも思います。そうなると、こういった形で住まいで一律に分けるとか、「区切り」というものがこれからどんどん曖昧になっていくかもしれませんね。
二つ目は、普通の学校生活を送らなかった子たちの存在。
前の投稿でも書きましたが、会の冒頭に有志達が集まってそれぞれの小学校・中学校ごとに思い出ムービーを流したんです。音楽も映像もばっちり合っていて、もう本当に感動的な作品でした✨
ただ、私がもやっとしたこと。それは、もうめちゃめんどくさいやつに聞こえるかもしれませんが!書きます!
不登校の子、何らかの理由で学校に行けなかった子、遠くの私立学校に行った子など… 地元の、いわゆる普通の学校生活を送らなかった子たちはどうしてるのかな、ということでした。
私の周りには、学校に行かない子や困難を抱えた子がいます。
思い出ムービーの「映える映像・映える音楽」が素晴らしかったのは本当です。素晴らしかったです。でも一方で、これって偏ってないかな?とも思いました。まばゆい光ばかりを見せられてるような。
今回、たまたまPTAの関係で二十歳の集いに参加させていただきました。
3年ぶりの開催が喜ばしい一方で、心の片隅でこんなもやもやを感じた日でもありました。
二十歳の集まりの主催自体にもっと若い人をいれて、まったく新しい形を目指すのもありかもしれないなと思いました 🙂
↓二十歳の集いに関する投稿です。
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